2010年1月26日火曜日

なぜ天地明察はライトノベルではないか?

やっぱりこういうのはいくら眠かったりしても読んだ直後の勢いで書かないと駄目だなということを再認識しつつ、まあくそ面白くもないライトノベル論を。えーっと、ごめんなさい、色々書こうと思ってたことはあったんですが上手くまとまらない上にオチがないです。

……さて、天地明察について、冲方丁がこれをライトノベルとは思っていないらしい、ということを先日述べました。というかこれをライトノベルだと思う人は少数派でしょう。俺もあんまり思っていません。
じゃあ、なにがライトノベルでなにが違うのよ、というところが気になってくるのも人間の性ですが、しかし元々ライトノベル作家だけあって、天地明察もそこそこにラノベっぽい(と人によっては感じるんじゃないかなあと思う)部分が多々あります。あるような気がします。

例えば明確に挙げられるのがヒロインのキャラクタ。この小説のヒロイン「えん」という子なんですが、武家の女性なので特別数学に詳しいわけでもなく、しかも舞台が自由恋愛の許されていない時代なのであんまり出番がないのです。主人公がなんか的の外れた質問をしてそれにぷりぷり怒りつつ「存じません!」と返す台詞でキャラを立たせてる。いわゆるツンデレさんのヒロインですね。いまいち気の利かない(多少ぼーっとしたところの)男と、しっかりもので物言いのキツいところのある娘さん、という組み合わせは冲方作品において頻出するタイプのカップルです。シュピーゲルも主人公カップル二組ともこの類型。好きなんでしょうか。

……あ、話がそれた。まあこういうところを挙げるのは表層的でバカっぽく見えますよという意見はありがたくちょうだいしつつ、この辺のキャラクタの立たせ方の方法論、みたいな部分に非常にラノベ的なものを俺は感じるのです。いいとか悪いとかでも、浅い深いでもなく、ラノベ的なテクニックである、と感じる。まあ別にアニメ的と表現してもゲーム的と表現してもいいんですが便宜上。このあたり、様々な媒体で書かれている冲方センセイならではの強さだと思います。業界の心配をいろいろしてる方らしいですけど、そういう経験値が単に「いろいろやってるから干されなくて強い」というだけでなく、小説の表現にきちんとフィードバックされている、というのは単純にですね。凄いですよね。また話がそれてますが。
まあ読んでるときに俺は「ああ、結構ラノベ的(重ねていいますが悪口ではないです)であるなあ」と感じたのですが、しかしライトノベルではない、と称されている。つまり、執筆時の方法論は恐らく冲方丁の中でライトノベルの定義に入っていないんだろう、と感じました。ではなにをもってライトノベルなのか?

というか、もう答えは出てまして、冲方丁自身が「最後のライトノベル」と称した(いや、ブログによると編集が勝手に帯にしちゃったみたいにも書かれてますが)テスタメントシュピーゲル後書きにおいてこの方こーいうことをいってます。

 この「テスタメント」が、紛れもなく僕の「最後のライトノベル」となるでしょう。
 本書で主人公の一人が誕生日を迎え、一つ年をとったことが実に象徴的です。登場人物の年齢が変わらないのがライトノベル、などと断言するわけではありませんが、青春の終わりが主題となった時が、一段落かなと感じます。

えー、断言するわけではない、とはいってるものの、この人の中で年齢をとらないものがライトノベル、という考えが(少なくともわずかには)存在することが伺えます。またブログ中、「ストームブリングワールド」の続きを書く予定があったことに言及した文章で、

 ついでに言えば、少年少女が旅の過程でどんどん大人になっていく物語というのも、どうやら見事にライトノベルの枠組みから外れてしまうように思う。そういうわけで書かずじまいとなった。
 いずれにせよ旅立ちにおいて終わるのは少年少女もののテーゼとして非常にまっとうであるように思う。旅立ちののちの成長は、どのように工夫したところで、大人への道のりになる。それでも大人にならないまま描き続けるとしたら、結局は、無限の「旅立ち」の繰り返しとなる。とすれば最初の二冊で書くべき事は全て書いている。

……ということをいってまして、やっぱり少年少女が大人になっちゃったらライトノベルじゃないよ! という主張が見え隠れしてるわけです(実際の所、世代交代なんつー方法もあるので大人になったら終了、というのがもちろん絶対ではないわけですが)。インタビューで「このキャラクターを書いとけばいい、みたいな話が一番いらつく」みたいな発言もしていて、成長のない、金太郎飴的ストーリーに対するムカっぱらに大変好感が持てますね。

さて、結局のところ年をとる=大人を書いてしまうのはライトノベルではない、という考えを冲方丁が持っているんじゃないか、という風に俺は思います。というか、少年性を書くのがライトノベルなのかな。創作においては大体永続するもんですね少年性。それが失われるのが、ライトノベルからの逸脱であると。

しかし天地明察の主人公である渋川春海は二十歳を超えたいい大人であるにも関わらず「碁打ちには身が入らないなあ。もっと、自分が自分らしく戦える場があるんじゃないかなあ」などと高校生みたいなモラトリアムの渦中にいます。また、「日本独自の暦」というそれを手に入れてからは二十二年という長い間それに時を捧げ続け、完全におっさんであるにも関わらずその少年性が失われたような描写は一切ありません。ずっと元気で少年してます。
じゃあなにを持ってこの作品がライトノベルから逸脱したのか? といえば、やっぱり結末なんだろうなあ、と思わざるをえません。少年性の消失。この渋川春海を結末まで書ききることで、この本はライトノベルからはみ出して、冲方丁のステージを押し上げた。この結末を書くためにヒロインは必要だった。そういう風に思うのです。

えー、よくわからなくなってきましたが結局なにがいいたいかと申しますとつまり、大変いい読後感の良書なのでみんな読むべきだよ、と。
しかし見直してみても我ながら嫌らしいエントリタイトルだなおい。吐き気がするぜ。

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