2011年11月4日金曜日

攻略すると「寂しい」――『ワンダと巨像』プレイ中

でけえよ。

無理だよ。

 

PS3版プレイしてる。現在ちょうど十体目の討伐完了。評判どおりすげえゲームです。

もう、新しい巨像がでてくる度に、心底から本当にどうしようもない無力感がふってわくの。初見はなんというか、現象を見るのに近い気分で、とんでもないデカさの自然現象(竜巻とか)を目にした時ならこういう気分になれるんじゃないかなあ、という感じ。なにせ一歩歩くごとに地面が揺れるというサイズのものを見て、それを「敵」として認識するのがすごく難しい。それでもまあ、戦わないとゲームになんないわけだけど。

矢を一発撃つ。

双眸が、こっちを見据える。

その時の、恐怖が、ひどい。どうやって倒したらいいのか、なんて考えが及ばない。こんなん倒せるわけないじゃんって本気で思う。「相手がこっちを排除しようとしている」っていう現実がとんでもなく絶望的なものとして降ってくる。

生き延びたい、って気持ちが先立ちすぎて、もう、なんか、それに向けて敵意を持って相対する、ってことがどーしてもできん。だってデカいもん。敵と比べたら一寸法師サイズの主人公が、巨像の体毛に必死にしがみついて針のような剣を突き刺す時、俺にあるのって害意じゃないもん。なんか、祈り的なアレですもん。

もちろん敵に祈ってる、という訳ではないんだけど、なんというか根源的に人間には(っていうか俺には)、デカくて偉大なものに対する「畏敬の念」みたいなものがあって、戦ってるあいだじゅう、巨像にはそれを感じているような気がしてる。

俺だけじゃなくて、巨像が倒れた時の演出に切ないものを感じちゃう人はたぶんわりと多数派だと思うんだが、あの感情は「罪のない動物を殺してしまった」的なソレよりも、むしろ敬拝の対象の消失がもたらす不安とか、そういう相手をこの手で殺ってしまった罪悪感、みたいなのに近い感じがしております。

だからなんというか、攻略法が見つかる度に、達成感よりも「寂しさ」的なのがきちゃうことがある。畏敬の矛先を失いたくない、という気持ちがどっかにある。巨像3は特にそうだった。あいつでかすぎる。怖い。15分くらい逃げながらガタガタ震えてましたよ俺は。

まあ、こういう感情がわき出ちゃう辺り、「ママー、あの人どんっだけ感情移入してるのー?」という話であって、うん、すごいゲームです。アートディレクションの力を思い知れ、というような。なんか、結構問答無用の腕力があるゲームだよね、これ。

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